その昔、土木技術者の時代は四国で橋を架けたり、橋の構造を決めたり、将来の当面の道路整備の実施計画、将来の道路整備計画をまとめるなどてました。
仕事に飽きたころ、研究所に転勤するチャンスがあり、コンピュータがようやく、実務に導入されはじめて、一番の使い手になり、コンピュータ・グラフィックの先駆けで計画中の道路の走行を再現したり、はたまた、大規模な道路整備計画の経済効果を予測するための、多変量解析、道路整備の効果のシミュレーションなどを手がけ、まあ、私が居なければ、本州四国連絡架橋は数年は遅れたでしょう。政治的には三本の架橋ルートは決定していたでしょうが、この通り、効果があります、と言えなければ、数年は遅れたでしょう。
その後、できた道路の使い方に研究の重点を移し、利用者にサービスする道路関連施設として、道の駅などを提案、さらに複雑になった道路網を使いこなすためのナビゲーション・システムに力を入れ、デジタル地図協会を作り、1980年に皇居まわりで自働車メーカー、電機業界を巻き込んで実験しました。その後、10年くらいで、それらしいものが自動車整備の際の代車などに取り付けられるようになりました。皇居まわりの実験のときは、表示されてる地図ではお濠の中を走ってる車がいたり、10年後も田んぼの中を走ってたりでしたが、衛星による位置把握システムGPSが実用化されて、2010年には自分の車もナビが付くようになりました。
戦前、戦中の軍国主義の時代、戦後の混乱期を経験し、高度成長を支えて、しゃにむに働き、様々の変化があり、楽しめる人生でした。今、あまり、見たくもないものも育ちつつあるようですが、それは天国から見ることにします。